加賀城雀は廊下を歩いていた。頭にみかんを乗せて。それを目撃してしまった芽吹は頭を抱える。
「……雀?いつもと種類が違う奇行をされると心配になるんだけど?」
「メブ!だって、これから一晩中お祭り騒ぎするんだよ!?テンション有頂天だよ!」
「しないわ。明日も鍛錬とまでは言わないけれど、夜はちゃんと寝るのよ」
芽吹の諫言もなんのその、雀はくるくると回り始める。
「なるほど、激しく動きながらもみかんを落とさないことで体幹を真っ直ぐに保つトレーニングね」
「メブもやってみる?」
どこからともなく取り出されるみかん。芽吹は素直に頭に乗せる。
「意外と落ち着くわね」
「うんうん、メブがみかんの良さを理解してくれて嬉しいよ」
みかんを頭に乗せた二人組がゴールドタワーの廊下を歩く。普通なら何事かと驚くべき光景だが、雀と芽吹は方向性こそ違えど防人変人ランキングのトップ争いを繰り広げているのだ。
「いつも通り変わってるにゃー」
「変わった鍛錬だね」
「魔除けのおまじないか何か?」
防人達は動揺することなく頭のみかんをつついて遊び始める。
「はい、どうぞー」
雀は直接頭の上に乗せてみかんを配布する。
「戴冠か!」
「夫婦漫才もいつも通りだにゃー」
「たった十数メートル廊下を歩いただけなのに時間がかかったわね」
「みかんを頭に乗せるとね、自然とゆっくり歩くから安全なんだよ」
「とにかく。この部屋に5人も入るんだから片付けないと」
組み立て済みプラモは既に収納してある。雀によるプラモ破損事件以降、しっかりと片付けるようになったのだ。箱のまま積んであるプラモは壁となっているので安全。
コンコン、と控え目なノック。
「入って、しずく」
しずくの手にはカップ麺と袋麺。
「約束通り。食料」
「あのー、しずく様?ひとつ激辛があるんだけど、まさか私の分じゃないよね?ね?」
「ヤサイニンニクアブラカラメマシマシ、北極、こってり、それらもまたラーメン」
「待ってお願いします助けてー!」
芽吹は微笑んで見守る。しずくが雀をからかって遊ぶようになるとは。
ドタバタ、バタン!そう形容するしかない、綺麗な衝突音が響いた。
「どうぞ、弥勒さん」
「なぜノックする前に入室の許可が出ますの?監視カメラでも?」
「消去法です。雀とシズクがここにいる以上、廊下で騒がしいのは弥勒さんだけですから」
「ああ、なるほど。……ってどういうことですの!?」
「弥勒さんが持って来たのどうせ鰹でしょ?」
「鰹出汁のラーメン食べたい」
「塩対応!」
天使が開いたままのドアからひょこっと顔を出した。
「あやや!待ってたよー!」
「国土。こっち」
「来てくれてありがとう、亜耶ちゃん」
「私との温度差!」
全員が集まったところで状況確認。今日の食料は各自の持ち込みだが……。
「私はうどん。他に食べたい物もなかったし」
「みかん!」
「ラーメン」
「もちろん高知が誇る鰹ですわ」
「芽吹先輩がうどんだと思ったので、クッキーを焼きました。安芸先生に教わったんですよ」
「「「「!?」」」」
「あのクールさでクッキー……確かに最近起こしてくれる時に甘い香りがしたような」
「毎日起こしてもらっている関係ということは、同衾でもしているとか?」
「やっぱり仲良しさんですね!安芸先生も雀先輩のことをよくお話ししてくれますよ」
「違いますー!毎朝涙目になりながら起きてますー!」
「興味深い話をしていますね」
音もなくドアを開けた安芸先生がそこにいた。
「ひぃぃ!出たぁー!」
「出た、というのはおかしいですね。私は部屋に入ったのです」
「そこ!?」
芽吹は目の前のカオス空間を平然と無視。うどんを調理するすべく黙々と準備を続けていた。
「芽吹先輩、お手伝いしますよ」
「大丈夫。厨房は予約済み。材料は全て予備がある。タイマーも複数用意したから時間管理も万全。完璧な計画ね。……いや、やっぱり念のためお願いしてもいい?」
ついに安芸先生としずくが結託して雀を壁際に追い詰めている様子を見た芽吹は、亜耶を守るため連れ出すことにした。
うどんの調理は予定通り進行している。勝手に持ち出した鰹も質が良い。
「実はちょっとだけ小分けにしてクッキーを持ってきたんです。つまみ食いができますよ」
亜耶の顔には『早く食べて!』と書いてある。自信作らしい。芽吹も落ち着いて感想など伝えられるのは今だけだと理解していた。
「じゃあ、遠慮なく」
芽吹はサクサクと食べ進める。一言も発することなく、あっという間に手持ちのクッキーを食べ尽くしてしまった。
「……ごめんね、亜耶ちゃん。おいしくて全部食べちゃった」
「芽吹先輩が幸せそうなので、私もとっても嬉しいです!」
芽吹としては気恥ずかしいところだが、そんなことよりも亜耶の愛くるしさが問題だ。抱きしめたい。しかし何も言わずにそんなことをしても心配されるだけ。珍しく宴会で浮かれ気味だったのか、これが彼女の普通なのか、斜め上の結論に到達してしまった。
「先に食べさせてもらったし、お礼をしないとね」
「お礼だなんてそんな」
優しく亜耶を抱き寄せて頭を撫でる。
「亜耶ちゃんはとってもいい子だから、いっぱいなでなでしないとね」
12センチの身長差。抱き合うのに都合が良い体格差だった。心拍数まで伝わる距離の中、長い間こうしていた。少なくとも芽吹の現実味を失った頭はそう感じた。
「あったかくて、ふわふわ、してて、ねむい、れふ」
腕の中の天使は立ったまま芽吹に体重を預けて寝てしまった。なぜだかとてもイケナイことをしているようで、急に跳ね上がった心臓が目覚まし時計になるのではないかと不安になったその時。
視界の隅。自分で持ってきたタイマーの時計に引きずられて芽吹の思考が帰って来た。5分も経っていない。
クッキーはそれなりの量があった。もしかしたら普段よりも遅くまで起きて作ってくれたのかもしれない。などと考えたところで気がついた。……これは、動けないのでは?
楠芽吹は防人である。それも最も優秀であると認められた隊長である。見事、亜耶を支えたまま料理をするという離れ業を完遂した。
今までは凝り性だから料理もこだわる、という程度だったが、今回の楠芽吹は違った。
これを食べたら彼女はどんな顔をするだろうか。
もう少し甘い方が彼女の好みだろうか。
お腹いっぱいになったらまた寝てしまうだろうか。
そんなことばかりが次々と思い浮かんでは消えていく。こんな時間がいつまでも続いてほしいような、一瞬で過ぎ去って早くうどんを食べてほしいような。
矛盾や迷いをこんなにも愛おしく思う日が来るなんて、昔の芽吹には想像もつかなかっただろう。
幸せいっぱいの笑顔を雀に激写され、亜耶が目覚めたことにより自由を得た芽吹がゴールドタワーを駆け回るまで、あと3分。現在の芽吹でも想像もつかないことであった。